形あるもの、いつかは滅びる。これは万物に共通の事象である。誉れ高きMテクステアリングといえども、所詮は工業製品。金属の輪に革を縫着しただけのものである。革も常に触れていればその風合いは変化し、何時しかその持ち味を失う。俗に言う「てかり」だ。これを味と見るか劣化と見るかは当人次第であろう。
自分は後者であった。
車に乗り込み、一番最初に目に入るのがステアリングだ。
革のシボが擦り切れ、人の手脂で光沢が増してしまったステアリングは、見るに忍びないものとなっていた。
いつしかステアリングリペアのHPを検索している自分が居た。
HPを検索し、メールで幾つかのショップに問い合わせ、その中で一番レスポンスと価格が良かった店に修理をお願いした。
最近の主流は左右の上下で縫い目を作る縫製の仕方の様だが、自分はオリジナルに拘ってみた。
つまりMテクステアリングの縫製は6時方向に2カ所である。それ以外は1枚ものとして縫われている。
ステッチはヨーロピアンステッチだ。ここにMテクの3色を使うことも出来るが、予算の都合で断念。
以前この部分が3色のステアリングを見せて貰ったことがあるが、非常に満足度の高いものであった。
「そのうち慣れる」と自分に言い聞かせ、1色での縫製でお願いした。
革の種類も同一価格でパンチングタイプも選べる様だったが、オリジナルに拘ったので今回は選ばなかった。
なんだかんだ言ったところで、つまりは「予算」が全てを左右したと言う事は、自分の中から少しだけ残念さが減ったという証であろう。
はやる気持ちを抑え、早速ステアリングを装着してみた。エアバッグ無しのステアリングは十字レンチ一つあれば交換出来るので楽だ。センターのホーンボタンを剥がし、十字レンチを掛ける。イグニッションキーの位置など幾つか儀式はあるがクルクルとナットを外し、センターがずれない様にして新しいステアリングを装着し、ナットを締めてホーンボタンを取り付ければお終いだ。
そこには真新しい感触のMテクステアリングが蘇った。
「新車だ」と思った自分は残念度指数再上昇。
テカリが無くなったMテクステアリングであるが、見た目以上にその操作感が素晴らしい。第一に滑らない。本来の革の持つしっとり感がステアリング操作の安定感を生む。
これはドレスアップもさることながら、安全性にも大きく貢献している。
車の三大基本、「走る、曲がる、止まる」のうち、曲がるを担当し、ドライバーの意思を正確に車両に伝えるステアリング。
よって今回の作業ははモディファイではなく、メンテナンスと言う事にしたい。
やはり最終的にはどうやってでも自分の行動を正当化したいという願いが現れてしまっている様な気がする。品薄になってきているE34クラスの製品だ。仮に新品を購入出来たとしてもこの価格の2倍は掛かる様なので、予算的に難しい場合は革の張り替えも一つの選択肢であろうと思われた。
BBS−RSを装着していたことは以前の通りである。が、どこでどう間違ったのか、16インチでは物足りなくなってきてしまっていた。恐らくはこれがインターネットの恐ろしさなのかも知れない。一昔前なら、同じ国でも海を越えた地域の情報など殆ど入手出来なかったのに、インターネットの普及が、時間と空間の境を一気に消してしまっていた。
マックのモニターに映し出されるのは、どれも綺麗に整備された愛車ばかりであった。大径ホイールを装着したその雄姿は、無知な大人を狂わせるのに時間はさほど掛からなかった。
そんなある日、オークションサイトに18インチのRSが出品されていた。写真があまり良くなかったが、勢いで落札し、そのまま現物を見ずにリペアショップに送って修繕して貰うという暴挙に出た。
今考えると無謀な行為以外の言葉が見つからない。
ある程度の補修を受けたホイールは、それでもまだ自分の想像からは外れた状態であった。連日コンパウンドでリムを磨く作業が繰り返し行われた。指紋が剥がれそうになった。本業に差し支えが出そうになるギリギリまでリムをコンパウンドで磨いた。チューブ入りのコンパウンドが絞り出せなくなった頃、ホイールは見事に復活を遂げた。これでまた一歩近づいた。そんな気がした。
嬉しかった、ある言葉を聞くまでは。
「RSはセンターのメッシュの部分はどのサイズも一緒で、リムの厚さでサイズを変えている」
そんな話を聞いた。良く見ると確かにそのように見える。そうかメッシュ部分は同径なのか。
心の中で何かが音を立てたような気がした。
RSに似ていて、メッシュの部分が大きいホイールが確かあったはずだ。気持ちが高ぶった。それが何かが判るまでは時間は必要なかった。
クロスコンポジット
メーカー純正のホイールである。製造元はBBS。今は閉鎖されてしまったが、とある海外サイトでシルバーのM5にこのホイールを装着した写真を見た。今思えば、画像をダウンロードしておけば良かったと後悔しきり。それでも時々そのサイトを覗き、憧憬の様な感を抱いていた。もしこの画像をお持ちの方がいれば、分けて頂けると幸いである。
時を同じくして、RS-GTの存在を知った。こちらは当然BBSの製品。
個人輸入も視野に入れると、クロスコンポジットの18インチと国内量販店のRS-GTの価格はほぼ同一であった。
暫くはネット通販サイトの価格チェックが日課となっていた。
結論としてホイールの軍配はRS-GTに上がった。
Mテクエアロにクロスコンポジットの組み合わせは、非の打ち所がない「定番」である。メーカー純正としても存在している位だ。
今でもオークションで「E34スポーツパッケージ」が出ると、意味なくウォッチリストに登録してしまう。
そこまで憧れを抱いていたホイールなのに、当時想定額での入手方法が海外からの個人輸入に頼らなければならなかった現実は、当時の自分には購入に際して大きな障壁となっていた。
もしかしたら、いつかはクロスコンポジットになるかも知れないが、それは自分の中の「飽くなき夢」として取っておこう。
ただ心のどこかで「どうせ逝くんですから、いつかは逝くんですから」という言葉が繰り返されているのは否定出来ない事実である。
色々遠回りしているようだが、やはり時代は流れているという証拠であろう。しかし足回りだけで一体いくら掛かってると言うのか。
自動車にはグレードなる規格がある。昔で言えばスタンダード、デラックス、スーパーデラックス等。ふと書いてみたがかなり昔のグレード設定だな。今時、車のエンブレムにスタンダードなんてのは無いだろうに。
BMWには基本的にそのようなグレード分けはない。あるのは排気量別の区別程度か。E34にも国内販売では2Lから4Lまでの排気量別に、520i〜540iとして区分けされている。
それらの装備にはさほどの違いは見られない。必要にして充分な大方の物は標準装備だ。
だがそんな同一車両群の中で、異彩を放つグレードが存在する。
Mの称号が付くM5である。BMWの子会社が製作に当たっている特別な車両だ。エンジンから内装までその装備は排気量で表されるようなグレードとは一線を画している。車両価格もまた然り。
それぞれのオーナーはM5と言う車両に少なからずある種の憧憬を抱く(と思う)。
頂点に君臨する車両の一部が、やはり流用可能であることが判った時、RECAROへの惜別の日がやってきた。Mの称号の前には定番すら影が薄くなってしまっていた。
恐らくこの辺が異常のピークではなかっただろうか。完全に財政と精神と立場の統合が乖離していた様な気がする。「人生一度きり、やりたい事をせずに何が人生だ」と思い込んでいたのだろう。
RECAROシートに希望サイズ径のステアリングにより適度なサイドサポート、肩幅にしっくり来るステアリング径、内装に関しては全てが理想に近い状態になっていた。
車の運転が愉しい、そんな日々を過ごしていた。
人間、知らなければ幸せって事もあるわけだ。
深く詮索しない方が良いことも時にはある。
普段の食生活だって、基本は日本食、そこに時々中国の一部、西欧の一部の料理が入る程度だ。アメリカやアフリカ、アジア系の料理が連日食卓を飾ることは殆ど無い。だからといって不満もない。
知らないからだ。その旨さを知らないから、食べなくてもさほど不満にも思わない。
でももし知ってしまったら、今までのものでは到底満足出来ないことになろう。
人間は欲の深い生き物である。
知らない中でも色々と藻掻いてみた。センターのエンブレム変更だけでも出来ないかとディーラーに掛け合っても見た。
無理だった。やれば出来ることなのかも知れないが、当時の知識では無理だった。
「これは一流ブランドなんだ、何も申し分ないんだ」
そう言い聞かせても、納得しない自分がいた。
そんなとき、一縷の望みとなる貴重な情報を入手した。
「流用が可能だ」
目の前の霧が一気に晴れた瞬間だった。
病気がどんどん進行している時期だ。たぶん坂を転げ落ちる石のような感じだったのだろう。
純正シートのヘタリを感じたのは、自分の妙な物欲が原因ではないと思いたい。運転席側のシートは本当にヘタっていたのだ。「たった3万km走行でシートがヘタるのか?」と思ったが、助手席の感触とは完全に違っていた。
シートと言えば、誰が何と言おうとRECAROである。
当時はブリンプが代理店だったこともあるのか、価格設定が物凄く強気だった。完全にブランドと化していたような設定だ。革シートの電動などは1脚50万ほどの価格だった気がする。
縁あってRECAROのCSを2脚入手。助手席に誰も乗らないのに、なぜか2脚導入。理由?その方が格好良いから意外に何があろうか。以前はRHDに使用されていた物で、左側用は使用頻度が極端に少ない商品だった。
嬉しかった。ドアを開けるのが凄く嬉しかった。
定番の安心感と言うものだろう。
それに軽い、布製なので滑らない、サイドサポートがしっかりしている、カラーが内装にマッチしていた、背もたれのロゴが所有欲を充分に満足させた。
今まで色々なモディファイを行ってきて、後悔というのは殆ど無いのだが、唯一このRECAROシートを手放した事だけは少しだけ後悔している。本当に最高のシートであった。
でも純正じゃないことが後々気持ちに違和感を感じさせることとなった。
定番だけど純正じゃない。こんな変な拘りを持っていた自分は、やっぱりある種の病気だったのだろう。
「イタルボランテステアリングとノーマルシート」
購入時、前オーナーの唯一のモディファイが「Mステアリング」への換装であった。記録簿に依れば、車両購入後に交換したようだ。センターにプロペラマーク、そしてスポークにはMのマーク。
当然変なテカリもない極上物であった。
そのステアリングを暫く装着してたのだが、何かどこかに違和感を感じていた。やはり体は覚えていた。
ステアリングの大きさが、過去に乗っていた車のものより幾分大きいのである。
径が大きいと回転運動に対する加重が少なくて楽ではあるのだが。全て合理的が最良といえないのが趣味の世界である。
純正Mステアリングとの決別は辛かったが、背に腹は替えられず、熟考した結果イタルボランテの360mm径ものに変更した。
握りは申し分なく、これが望んでいたサイズだと暫くはその感触に満足していた。
ドレスアップの際、外装を弄ることが多いと思うが、運転時に視野に入ってくるのは前方視界とメーター周りである。車と接触する行為の中ではこの情報が8割以上を占めるはずである。
外装は、車に乗り込む時と降りた時、洗車時や何気なく車を見つめてるときくらいにしか見えない。
事実何気なく車を見つめている姿は、端から見ると極めて奇異な姿ではあるのだが、判っていても止められないのが車好き。
自らの姿を鏡に写してうっとりするナルシストだって、端から見れば奇異な姿であることは違いないことから、これらは全て同じカテゴリーに属する趣向と思われる。綺麗に化粧をして変わった姿に見とれる女性もまた然りであろう。
この奇異とも思われる感覚は、如何に他人から良く見られるかを最重要視しているのだが、一部の「右腕を思いきり伸ばし、左足はセンターコンソールの上に乗せ、美容室でシャンプーされるのかと思われるレベルにまでシートを倒して運転する」様なドライバーを除き、走行中は余り他人の目などを考えずに運転に集中している。
そのために、この状況下では雑念が湧くものは視界から出来るだけ排他したいわけだ。
話を戻し運転時の視界である。
目の前には前方視界、そして目をやや下に向ければ走行状態を示す各種計器類。その下にはステアリングホーンボタン。
何だろうこの寂しさは。
そうか、ホーンボタンにプロペラマークがないんだ。
たぶん購入時に社外のステアリングが付いていたら、このような感覚に襲われることはなかったのではないかと思う。
考えるに、自分の中にすり込まれたある種の「定番」がそれを感じさせたのではないか。
「じゃなければならない」、今考えると自分への勝手な縛りである。
思えば「ホイールがBBSじゃなければならない」というのも、ある種の「定番崇拝主義」が起こさせる最たるものなのかも知れない。
ドアを開け、シートに身を沈め、前方を見る。
暫くして視界に社外のマークが見えることを許せなくなっていた自分がいた。
今思い返してみると、この時期が一番おかしくなっていたような気がする。
9年落ちとはいえ外車を所有することで当時はかなり浮き足立っていたのは否めない。情報も何もない中で、これから襲われるかも知れない数々のトラブルにネットの記事を読みあさりいささか頭でっかちになっていた嫌いはある。それが証拠に、当時はエンジンの下に段ボールを敷き、オイル漏れの確認をしていた位だ。今考えたら爆笑ものだ。
それでもこの車を所有出来た歓びは、何事にも代え難いものであった。
名義変更も無事終わり、ガレージにこの車が納まった。
そして最初に行ったモディファイ、それはやはりホイールの変更であった。
それも今まで行ったことのない「インチアップ」である。
自動車雑誌の広告にこんなコピーを見たことがあった
「羨ましく思われても、羨ましく思わない」。何と所有欲をくすぐるコピーであろうか。
ホイールのメーカーはBBSしかない!と。これは今でも変わらない勝手な信念を持っている。
この車に合うホイールを探すわけだが、欲しいホイールはもはや絶版(実際販売していたとしても新品4本買うだけの財力も無かったわけだが)。
色々当たって何とか入手。自分の探していた理想とドンピシャの極上品を手に入れる事が出来た。
なせばなるである。
このホイール、オーナーが何人か変わり、結果として関東、関西、北海道の道を走ったことになったが、良いものは何時の時代も良い(とオーナーは勝手に思い込んでいる)。
BBSはドイツのホイールメーカーであるが、製造しているのは福井県にあるワシマイヤーという会社らしい。話のネタに一度見学に行ってみたいものだ。
前から「誰か買わないか?って言ってるけど」そんな話を仕事の先輩から聞き、独立して6年、そろそろ今まで乗っていた車も10年選手になったことだから新しい車に乗ろうか?と考えていた矢先だった。
BMW、当時の印象は「壊れる」であった。壊れれば外車だから当然修理代は高い。身分不相応では?と言う思いが一番強かったわけで、でも試乗するだけならタダだし、話の種に一度乗せて貰おうって事で先方さんに電話を入れる。
「試乗させて頂きたいんですけど」
全てはこの一本の電話から始まった。
後ろから「運転してみるかい?」そう言われて運転席に座る。初めての外車、それも左ハンドル。ウィンカーとワイパーレバーが日本車とは逆。アクセルは吊り下げ型ではなくオルガンガ型、それも当時乗っていた日本車から比べると恐ろしく重たい印象があった。
ただ今でも覚えているのが、ずいぶんしっかりした感じの重厚感がある車だなぁと言う感想。
恐る恐る重たいアクセルを踏み込み、街中を軽く流す。
「凄い!サニーとは全然違う!」
今考えてみれば当たり前の話であるが、当時はその程度しか判らなかった。
「肘掛けが付いているのは535だけなんだぞ」
「へー、そうなんですか」
運転しながらの受け答えだが、センターラインを越えないことだけを考えてた自分は完全に上の空状態であった。
車を駐めて取り敢えず幾つか質問。
「燃費はどの位ですか?」
「7kmくらいかな?」
「そんなに悪くないんですね」
当たり前だ、当時この車はゴルフ場へ向かう高速道路位しか走ったことがないのだから。間違っても「街中だと5km切るかな?」なんてことはこの時には言わなかったであろう。それを言ったら最後、貧乏な私は購入を断念したに違いない。
インパネMテクステアリングが取り付けられている以外は、完全フルノーマルな内装。写真では判らないが、オドメーターは3万kmほどである。9年でたった3万km、まさに「ゴルフ専用車」であることがこの数字からも読み取れる。これまた白飛びしていて判らないが、元オーナーの左手には深夜0時とともに日付の数字が変わると言われてるメーカーの時計が装着されている。このような人がこのような車を新車で購入するに相応しい人だったのかも知れない。
当時は「月々15万の支払いだった」と言っていた元オーナーさん。金利もバブル時期だから10%程度だったのだろうが、それにしてもこの財力には脱帽するしかない。